弁護士はどう読む?―『空飛ぶタイヤ』に見る刑事事件考

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管理・監督過失

管理・監督過失とは、文字通り、管理・監督者という立場にある者の過失責任です。『空飛ぶタイヤ』において、主人公・赤松が問われたのはまさにここだと思います。問題となる事例としては2つあって、①結果を惹起した直接行為者の過失行為を防止すべき立場にある監督者の過失の事例(狭義の監督過失)、②結果発生を防止すべき物的・人的体制を整備すべき立場にある管理者の過失の事例(管理過失)があります。

まず、①「狭義の監督過失」についてですが、直接行為者(実際に過失行為を行った人)を監督すべき立場にある監督者について結果の予見可能性を認めるためには、直接行為者の過失行為が予見可能であることが必要となります。しかし、偶然が重なって事故が起きてしまった場合に問われるのが過失犯だといえると思います。ここから分かるように、直接行為者は通常、適切に行為を行おうとしてたまたま過失行為をするに至っているので、結局のところ監督者が過失行為を予想することは難しいのです。これを踏まえて、監督者に直接行為者の過失行為について予見可能性を認めるためには、直接行為者が過失行為を行う兆候を認識しているかまたは予想できたといえる場合でなければならないといえます。例えば、普段からよくミスをしていたり、過労などその他の事情からミスが起こりやすい状況にある場合などが考えられますね。

次に②「管理過失」についてですが、これは結果を回避するための危機管理体制をきちんと構築していたかが問われることになります。危機管理体制の不備だけでは結果が生じるわけではありません。この問題は現に危険が潜在し、それが体制の不備ゆえに現実化した場合に問われることになります。そのため、危険が潜在することについての予見可能性が必要と考えられています。

以上のように、「過失犯」と一言で言っても、様々な問題があることはわかっていただけたと思います。自動車を運転される方(自動車事故については別の法律が制定されていますが)や工事現場などで働いている方をはじめ、過失による事故というのは誰でも行為者あるいは被害者、いずれの立場になってもおかしくないものだと思います。自分はそんなミスしないとたかをくくって無茶をしたりせず、常に危険と隣り合わせであることを忘れないようにすべきことを(自戒も込めて)申し上げて結びといたします。

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